【第10回】「お遍路」で千年先まで物語を語り継ぐ

「会員インタビュー」連載第10回目のゲストは、福島県相馬市の新妻香織さんです。
「東北お遍路プロジェクト」の代表理事として、福島から青森までの沿岸各地に「慰霊と鎮魂の道」を築き、俳句や写真コンテストも取り入れながら普及に取り組まれている新妻さん。
今回は、東日本大震災直後からの支援活動、お遍路の取り組みや工夫、活動を支える思いなどを伺いました。

今回は、新型コロナウイルス感染対策として、オンラインでインタビューを実施しました。

《この記事は8分で読めます。》

新妻 香織(にいつま かおり)

1960年福島県富岡町生まれ・相馬市在住
日本女子大学文学部国文学科卒業後、JTB出版事業局で雑誌編集に携わる。30歳で退社、5年間をアフリカで暮らす。アフリカ大陸を陸路で縦断・横断し、95年帰国。1998年フー太郎の森基金を創設、エチオピア・ラリベラで緑化と水資源開発に携わる(現理事長)。2000年松川浦の環境保護団体「はぜっ子倶楽部」創設・現代表。2011年から故郷の復興計画に携わるべく、相馬市議会議員を1期務める。2012年一般社団法人ふくしま市民発電と一般社団法人東北お遍路プロジェクトを創設(現在共に代表理事)。景観づくりを学ぼうと、2019年京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)ランドスケープデザインコースを卒業、現在被災農地で被災者向けの市民農園の造成事業も進行中。

故郷での支援活動

 新妻さんは、相馬市のご出身なんですね。

新妻さん) はい。私の育った実家は、相馬市尾浜(おばま)の海水浴場の近くでした。市の人口の1/3が住んでいたエリアだったのですが、東日本大震災の津波で、その一帯は基礎だけ残して流されてしまいました。私の自宅は少し高いところにあって、たまたま隣で津波が止まり無事だったのですが、故郷は壊滅でした。

新妻さん) 家の窓の外は、ご遺体の捜索現場になっていました。同級生を含め多くの方が亡くなり、残された方々も、家族も仕事も家も失っていました。でも、私は、家族も仕事も家も残った。「お前には残してやったんだから、働け」と神様にいわれているような気がしました。

津波で被災した新妻さんのご実家(提供:新妻さん)

新妻さん) 長年続けているエチオピアでのNGO活動のスキルを活かして、緊急支援からまちづくりまで、その時々に応じて様々なことをやりました。地域を歩いて何が必要とされているかアンケートを取り、マッチングサイトを通じて援助を受けて、被災した方に物を届けるとか。あとは、いちご組合をまず復旧しようとハウス解体や苗の植え付け、泥かき、避難所や仮設での炊き出し、まちづくりセミナーやマラソン大会などのイベントなど、いろんな活動をしていました。

「我が家は被災地の本丸になってしまった。」(コメント・提供:新妻さん)

 震災直後から地域で活動されていたんですね。

新妻さん) はい。私は、日本女子大出身なんですが、大学同窓会の呼びかけで集まった物資が届いたり、代表を務めている「フー太郎の森基金」を通じて物資やお金が届いたんです。支援金は264万円にもなりました。それを活用して、例えば、物資を調達し、公園のグラウンドに物資を並べて、仮設住宅に移る前の人たちに提供する活動をしていました。タイヤのあるものなら何でも欲しいといわれ、車5台、自転車400台の提供もしました。
相馬市では、5月の連休にはすべての人が仮設住宅に入りました。

 5月というと、時期としては、結構早いような気がします。私は宮城県石巻市で被災したのですが、仮設住宅に入ったのは8月ぐらいだったので、避難所生活は長かったという印象があります。5月に仮設住宅に入れるとなると、住民の方も、支援する側もバタバタだったのではないでしょうか?

新妻さん) そうですね。仮設入居時の方々への物資配布の活動も2週間おきに6回ほどやって、ヘロヘロでした。5月の連休以降は、在宅で被災をしている人のケアをしようと動き始めました。
私の活動を支えてくれたのが「鎌倉組」の皆さんでした。相馬市にはボラセンがありましたが、それとは別に我が家もボラセンみたいになっていて、直接鎌倉周辺の若者が週3回通ってきて、物資集め、炊き出しや泥かきなどを一緒にやってくれました。京都文教大学も8年間通ってくれました。

「仮設入居時に物資を自由に持っていっていただく会を開催。」(コメント・提供:新妻さん)

「東北お遍路杯福島相馬復興マラソンでは全国から800名のランナーが走った。」(コメント・提供:新妻さん)

 

「東北お遍路プロジェクト」始動
【東北お遍路プロジェクトとは?】

福島県いわき市から青森県八戸市までの沿岸地域に慰霊と鎮魂の道をつくるプロジェクト。東日本大震災の経験と教訓を伝える92ヶ所の巡礼地(2021年4月現在)が選定され、それらをつなぐ「東北お遍路巡礼地」として発信されています。
公式サイト

新妻さん) 5月の連休でみんな仮設住宅に入り、少し落ち着いてきたんですね。そこで、「次はまちづくりだ」と思ったんですね。私たちの壊滅してしまった故郷をどうするか考えようと、「松川浦の未来を考えるゼミナール」というのを始めたんです。

「第1回講座は佐藤栄佐久前知事が原発問題を語った。」(コメント・提供:新妻さん)

新妻さん) 被災していない相馬の若者にも、「みんなでまちづくりを考えませんか?」と呼びかけました。2011年7月から毎月1回全8回の講座でした。環境や原発、建築、都市計画、観光などの専門家をお呼びして講座を開く中で、東北お遍路プロジェクトとふくしま市民発電が誕生しました。

 そうだったのですね。お遍路プロジェクトが生まれたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

新妻さん) 講座に集まった若者たちとの出会いがきっかけでした。雑談の中で、「サンチャゴ」の話題が出、雷に打たれたように(笑)、「サンチャゴ」⇒「四国遍路」⇒「東北お遍路」とピースがびびーっとくっついてしまいました。
というのも、2011年4月に生物の専門家の方々と津波の後に初めて松川浦の調査に入りました。松川浦は生きものの楽園でした。ところが、津波で砂洲が決壊、松川浦と太平洋がつながり、松林がすべて流出、生きものの気配を感じない。まるで「別の惑星に来てしまった」と思ったんです。そう思わなければ平常心でいられない気持ちでした。

「砂洲の決壊で太平洋の荒波が流入。生きものの楽園だった干潟が消えた。」(コメント・提供:新妻さん)

新妻さん) みんな無言でうろうろ歩き回るだけでした。
当時、私たちはラムサール条約の登録を目指して頑張っていましたが、美しかった松川浦の景観が消え、潮目の豊かな漁場で魚を獲れず、大地は放射能で汚れ、「どうしたら福島にもう一度、人が戻ってくるだろうか」と日々考えあぐねていました。
「福島だけでは人は呼べない」と思い、東北の被災地全体で人を呼べないかと考えて、思いついたのが「お遍路」でした。
夫が高知県出身で馴染み深かったこともあり、青森から福島までの被災地に巡礼地を置いて東北の海岸線をまわるお遍路をしてはどうかと考え、2011年9月に「東北お遍路プロジェクト」を立ち上げました。

 お遍路の取り組みは、被災した地域や人をつなげる役割を担っていると感じました。3.11メモリアルネットワークも、地域を超えてつながるという部分で、共通点があるなと思います。

新妻さん) そうですね。3.11メモリアルネットワークを知った時は、私たちと目指すところが同じだなと思って、とてもうれしかったです。

 

物語をつなぐみち

新妻さん) 2012年2月に、初めて青森から岩手の被災地を5日間かけて車で巡ったんです。その時は「被災地を観光地にするのか」という非難の声がありました。その時も今も、何が正解なのかは分かりませんが、それでも、やっぱり人に来てもらわなければと考え、お遍路の活動を進めました。
私が「八戸から人々に会いながら青森・岩手を巡りたい」と発信したら、「フー太郎の森基金」の支援者の方が八戸で仲間を集めて待っていてくれ、道々会うべき人をみなさんで紹介してくださった。その後も、人づてに紹介してもらいながら、各地に住む方々とつながっていきました。遠いと思っていた地域とつながることができたんです。

「八戸の支援者(右)が、調査出発前に、蕪島神社(焼失前)で旅の安全をご祈祷してくださった」(コメント・提供:新妻さん)

 地域の方の声を聞きながら、巡礼地が決まっていったんですね。

新妻さん) はい。そこに暮らす人たちに、「千年先まで語り継ぎたい物語」を提供していただいて、巡礼地に定めることにしています。何を語り継いでいくか?というと、場所にちなんだ物語だと思ったんですよね。例えば、「この丘で助かりました」とか、人がどう命をつないだのか、ということが残っていくと思ったんですね。なので、そうした物語のある場所を選んでいきました。

 八戸から各地を巡るなかで、選ぶ基準ができたのでしょうか?

新妻さん) 事前募集で集まった、物語のある場所を訪ねたというパターンもありますし、実際に地域の方々とのやりとりのなかで決まったものもあります。
例えば岩手県野田村では、沿岸に候補地があったのですが、村長さんの「沿岸を通り過ぎて行くだけでなく、村の中を通って、お金を落としてもらいたい」という思いがあって、津波のがれきを止めた村の中の「大鳥居」を巡礼地に選んだという事例もありました。

 なるほど。戦略的に考える方もいらっしゃるのですね。
巡礼地の選定はもう完了しているのでしょうか?それともこれからも増えていくのでしょうか?

新妻さん) 2021年4月現在、巡礼地は92ヶ所ですが、まだ増える可能性はあります。私たちとしては、100ヶ所まではいこうかなと思っています。今、3.11メモリアルネットワーク基金助成を受けて、92ヶ所掲載した第3版目の地図を作っています。

第2版東北お遍路巡礼地マップ

龍昌寺での除幕式の様子(提供:新妻さん)

 実は僕も、家族で四国や近畿にお遍路に行ったりしているんですが、御朱印帳とか、行った先で書いてもらうものがありますよね。東北お遍路プロジェクトでは、そういうものはありますか?

新妻さん) 残念ながら、資金がなくてまだ一部にしか標柱がありません。スタンプも設置していきたいとは思っています。

 

経験を活かすために

 以前住んでいた場所が危険区域になってしまい、さみしい思いをしている人もたくさんいると感じます。そこに人が訪れてくれると嬉しく前向きになれたりしますし、まちの再興につながったりするのではないでしょうか。

新妻さん) 永沼さんは石巻市の大川小学校で語り部をされているんですよね。大川小学校は、去年(2020年)12月に巡礼地に登録させていただきました。
本当は当初から巡礼地にと考えていたのですが、ご遺族から「選ばないでほしい」と手紙を頂きました。観光客がバスで来て、慰霊碑の前でピースをして写真を撮っていったりするのが、いたたまれないと。

 わかります。整備されていない状況だと、タバコの吸い殻が落ちていたりすることもあって、遺族としては辛い思いもありました。

大川小学校

新妻さん)住民の方達に「登録してほしくない」という思いがあるうちは難しいと思い、お待ちしていました。震災遺構として整備されたことを受けて、巡礼地に登録させていただきました。

 これからは管理の人が居るようになると思うので、良いタイミングだと思いました。来てみて、知っていただかないと、人の命を守ることにもつながっていかないので、選んでいただけるのは嬉しいです。

新妻さん) 特に、子どもの命を預かる教育者には訪れてほしいと思いました。
一方で、浪江町の請戸小学校では、学校からの近道を知ってた子どもの案内で避難したというエピソードも残っています。そういうストーリーを残していきたいですね。

 子どもの意見が反映されて助かった事例と、そうでない事例ですね。どちらかだけでなく、両方知っておくことが大事だと思います。

新妻さん) そうですね。岩泉町では、「ここに階段をつけてくれれば逃げられる」という子どもの声を反映して町で設置した階段があるのですが、実際に3.11当時、小学生がそれを使って避難した事例もあります。
子どもたちの声を、大人がちゃんと受け止めて、理解して、カタチにした。こういうところから学ばなければ、何のためにこんな大変な、悲惨な思いをしたのか、その体験が無駄になってしまうと思います。

 そうですね。経験が活かされなければ、結局その場限りになってしまって、意味が無くなってしまいますよね。そこに語り続けていく意味があるんだと思います。
「どこに行ったらいいか分からないから、とりあえず有名な大川小に来た」という県外の方も多いんです。そういう時に、東北お遍路プロジェクトさんの取り組みから、「こういう場所もあるよ」「併せて訪れてほしい」と伝えられたらいいですよね。10年経って震災の面影が薄れていく中でも伝え続けていけるし、つながる意味にもなると思います。

 

自分の命を自分で守る

新妻さん) 夫の兄弟が四国に住んでいるのですが、「地震が起きたら、何か持っていこうとか考えなくていいから、とにかく高いところに逃げて」と伝えています。何が大事かって、命以上のものはないんですよね。
私はアフリカの暮らしが長かったのですが、最悪の状況で何を守るかというと、お金でもパスポートでもカメラでもないんです。ホールドアップされたら、ほしがる物はくれてやればいいんです。物への執着を捨てて、とにかく命を守るという気持ちにならないといけない。

※新妻さんは、30代の時にアフリカで生活し、帰国後の1998年に「フー太郎の森基金」を立ち上げた。以来、エチオピア・ラリベラの緑化、水資源開発に携わっている。

[左]1994年のラリベラ[右]400万本の植林をした2018年のラリベラ(提供:新妻さん)

 誰が命を守ってくれるのかというと、最後は自分ですものね。

新妻さん) この間の地震(2021年2月13日深夜に発生した福島沖を震源地とする地震)は結構強くて、相馬市や新地町では、3.11よりも地震の被害が大きかったところもあります。その時は津波警報は出なかったのですが、逃げる準備はしていました。最後は自分で判断しないといけませんからね。

 津波注意報を出してくれる人が、命まで守ってくれるわけではないですものね。

新妻さん) そうです。最後は自分の動物的な勘も働かせて動かないと。

 東日本大震災の被災地での学びを、実際に行動に移すことが大事ですよね。南海トラフの時には動けなかった、では意味ないですからね。

新妻さん) 事前に持ち出せるものの準備が出来ていれば、それを持っていけばいいですしね。

 

語り継ぐことが最大の防災

 東北お遍路プロジェクトも、松川浦の復興も、10年から先のこれからが本番だと思います。

新妻さん) そうですね。巡礼地を納得できる数まで増やして、それをつないでいってもらえるように努力しなくてはと思います。東北お遍路はまだまだ知名度がないので、まずは知ってもらえるように、フォーラムや、俳句の会、写真コンテストなどを毎年開催しています。そして、地域に来てもらって、語り継ぐこと。津波が来る場所に家を建てたりしないように、みんな忘れないでね、と語り継いでいくことが最大の防災だと思って活動しています。あとは、私たちだけでなく、地域の人と「道」を育てていくということが大事ですね。

仙台市で開催された東北お遍路フォーラム(提供:新妻さん)

 俳句コンテストは夏井いつき先生も審査員なんですよね!ポスターを見て、「テレビに出ている方だ!」と思いました。

新妻さん) 昔、雑誌の編集者をしていた時に、夏井先生の師匠にあたる俳人の黒田杏子先生と知り合ったんです。お金がない中で選考委員を決めなくてはならず、黒田杏子先生のことを思い出したんですね。25年ぶりに連絡したというのに、黒田先生は快く引き受けてくださり、また「夏井も入れましょう」と提案してくださったんです。俳句の師弟関係は凄いですね。超多忙と思われる夏井いつき先生の確認も取らずに決まったんです(笑)。

 すごいですね(笑)

新妻さん) おまけに黒田先生が、金子兜太先生も誘ってくださり、第1回目の俳句コンテストは、金子先生、黒田先生、夏井先生という俳句界の3人の大物が選考委員を務めてくださったんです。普通では考えられない、豪華なメンバーですよね(笑)。俳句コンテストは、今年で第5回目になります。

 

入り口はなんでもOK

 ぜひ各地を訪れて、作品を応募していただきたいですね。

新妻さん) はい。毎年俳句を詠むための旅「吟行」をグループでしてくださる方もあるんですよ。
先日、盛んに投稿してくださった仙台市の方が亡くなられて、調べてみたら、過去に100句以上も私たちのコンテストに投稿されていたんです。今年の作品集はその方の特集を組みました。そういうことも、こういう小さな俳句のコンテストだから出来ることなのかなと思っています。

 物語を元に選定した巡礼地を訪れて俳句を詠むことが、その人自身のストーリーにつながっていくんですね。

第4回俳句コンテスト・第5回写真コンテスト作品集

新妻さん) 写真コンテストも、実際に被災地を訪れないと撮れないので、回っていただける機会になります。鹿児島からの修学旅行生が投稿してくれたこともありました。

 訪れた方が投稿してくれて、もっと知っていただくきっかけになりますね。コロナが落ち着いて人が出歩けるようになったら、もっと多くの人に訪れてほしいですね。

新妻さん) はい。ただ、俳句の良いところは、訪問できなくても、被災地を思って詠めることです。実際に、ネットで見た情報を元に俳句を詠まれる方もいますし、いろんな方が、それぞれのやり方で思いを寄せて俳句を詠んでくださっているのだと思います。

 なるほど!そうですね。
このインタビュー記事も、伝承活動に興味を持った方に気軽に読んでほしいという狙いがあるのですが、そういう意味でも、新妻さんのお話はとても勉強になりました。

新妻さん) 入り口はなんでもいいですからね。思いを寄せてくれるきっかけになればいいなと思います。

 そうですよね。観光でも良いですし、そこで何かを学んでもらうことが大事だと思います。このインタビューも、入り口の一つになるように、続けていきたいと思います。
新妻さん、ありがとうございました!

「東北お遍路プロジェクト」メンバーの集合写真(提供)

 

インタビュー後記

会員インタビュー連載10回目のゲストは、一般社団法人東北お遍路プロジェクト代表理事 新妻香織さんです。

今回は、僕自身、初めてオンライン形式でインタビューさせていただきました。

オンラインインタビューでは、初めに音声等の確認を兼ねて、アイスブレイクの時間を設けることにしているのですが、そこで思いがけず、新妻さんと「畑」話で盛り上がりました(笑)
最近僕も家族や親戚と畑を始めたこともあり、初対面とは思えないくらい話に花が咲き、インタビューを始めることができました。

現地を訪問してのインタビューでは、地域の現状などに話題が寄りがちですが、オンラインでは「ゲスト」の方へのダイレクトな質問の割合が多くなりました。
ゲストの方に焦点を絞り、深くお話を聞けるところは、オンラインインタビューの魅力だなと感じました。

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さて、今回のインタビューはいかがだったでしょうか。

使命感と責任感に溢れ、エネルギーみなぎる新妻さんへのインタビューは、あっという間の時間でした。

震災以前から地域の未来を考える視点をお持ちで、東日本大震災の時も、直後から様々な支援活動を展開されていた新妻さん。お話を聞いていて、相槌の言葉も出ないくらい圧倒されてしまいました。(インタビュアーとしてまだまだですね 笑)

新妻さんのお話を聞く中で、普段の活動があるからこそ、災害が起こっていざという時に力を発揮できて、地域の方々を支えることができるのだと気付きました。

また、「東北お遍路プロジェクト」を始められた際、新妻さんご自身で青森から候補地を訪問して、人のご縁・つながりで拡大していったそうです。
改めて「つなぐ、つながる、つなげる」ことの重要性を感じたインタビューでした。

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また、東北お遍路プロジェクトでは「写真」「俳句」のコンテストも行っています。

新型コロナウィルスでなかなか被災地へ来られない方も、被災地から他県へ移動を控えている方も、被災地への思いを「俳句」にしてみてはいかがでしょうか。

僕も応募してみようと思います。

あっという間のインタビューでしたが、オンライン形式である点も含め、とても楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。
新妻さん有り難うございました。

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次回は、連載11回目です。どんなインタビューになるのか、ご期待ください!!

 

インタビュアー / 永沼 悠斗(ながぬま ゆうと)

3.11メモリアルネットワーク 若者プロジェクトのメンバー。
宮城県石巻出身で、3.11当時は高校生。現在は、大川伝承の会で語り部を行うほか、「失われた街」模型復元プロジェクト記憶の街ワークショップin大川地区 実行委員も務める。
趣味は、読書(東野圭吾好き)、ウィンタースポーツ、お茶(日本茶)。