【第12回】地域への愛着を育み 次の10年を担う人づくり

「会員インタビュー」連載第12回目のゲストは、一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校 代表理事の伊藤聡さんです。
伊藤さんは、ご自身も語り部として活動しながら、自然学校での子どもたちの受け入れ、地域の学校と協働での防災学習支援など、さまざまな活動に取り組まれています。2018年12月からは、3.11メモリアルネットワークの理事も務めています。
今回のインタビューでは、市民活動に関わるようになったきっかけ、震災直後からの子ども支援、ボランティアコーディネート、ボランティアツーリズムのこと、最近のオンラインでの取り組みなど、幅広くお話を伺いました。

なお、今回も、新型コロナウイルス感染対策でマスクを着用してインタビューを実施しています。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

《この記事は約7〜8分で読めます。》

伊藤 聡(いとう さとし)

岩手県釜石市出身・在住
東日本大震災の発生時には、釜石市根浜の旅館「宝来館」で働いており、波に追われる様に逃げた裏山で九死に一生を得た。その後は旅館の再建と地域の復旧活動に奔走し、活動で生まれた様々なご縁や全国から訪れるボランティア、地域住民の協力を得て、一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校を設立。

市民活動への関わり

 震災以前から、釜石の地域づくりに関わられていたと記事で読みました。いつ頃から活動されていたのでしょうか?

伊藤さん) 24歳からです。

 時期がはっきりしているのですね。何かきっかけがあったのでしょうか?

伊藤さん) 24歳の時、地域の方に誘われて、何となく、「小さな風」という団体の活動に参加したところ、ハマってしまったんです。釜石と大槌の若い人が集まって、自分たちのやりたいことをやっていったら、地域に小さな風が吹かせられるんじゃないか、そんな感じのゆるやかなグループでした。最初の頃は月1回くらい集まっていたのですが、そのうち「子どものイベントやろう」とか企画して、手作りでやり遂げたり。そういうのが楽しくて、関わるようになっていきました。

 それが市民活動に関わる転機になったのですね。そこから、ご自身で活動も立ち上げられたのですよね。

伊藤さん) 釜石は企業城下町ということもあり、かつては観光に力を入れる必要が無いと思われていたのですが、景気が悪くなってきて、地元企業なども効率化で雇用が減ってきて、観光にも力入れる必要があるんじゃないかと思ったんです。地域づくりのような市民活動をベースにして、観光を手段にして何かできないかなと。そんなことを考えている時に、会社を退職することになったので、起業することにしました。市民活動を、もうちょっと本気でやりたかったので、自分で仕事をつくってしまおうと。
でもその活動だけではご飯を食べていけないから、中間支援のNPOで働くなど、もう一つ仕事をする生活を始め、東日本大震災1年前にあたる2010年3月からは宝来館で働き始めました。

 どのような経緯で、宝来館に勤めることになったのでしょうか?

伊藤さん) 観光という切り口で「釜石をどうにかしたい」という市民活動に取り組む中で、宝来館の女将さんと出会ったんです。宝来館に籍を置きながら、グリーンツーリズムとか観光地域づくりの活動ができることになりました。修学旅行生向けに農業体験や、漁業体験のコーディネートをしたり。

伊藤さん) 宝来館は宿業が本業なのに、非営利的な活動もしていたので収益を圧迫してしまっていたんですが、女将さんは、それも大事なことだから「やりたい」と言っていました。ただ、いずれは別個にNPOなどをつくって、しっかりと役割を分けようという話にもなっていたんですね。

 東日本大震災前にすでに別団体を立ち上げる計画があったのですか?

伊藤さん) はい。時期は未定だったのですが、雇ってもらう時点で決めていました。そしたら、1年後に津波が来てしまった。でも、たまたま震災前から動いていたおかげで、被災した身でありながら、2011年3月からボランティアコーディネートをすることができました。

 かなり早い時期から動かれていたのですね。外から来た方、ボランティアさんが動かれていているのを見て、そういう役割の必要性を感じた方が多いと思いますが、地元の方が担うってすごいことですよね。

 

震災直後からの子ども支援

 「三陸ひとつなぎ自然学校」は、いつ立ち上げられたんでしょうか?

伊藤さん) 2012年4月です。2011年3月から活動していましたが、長い目で、地元に対して責任を負いながら活動をしていくことを考えると、早いうちに看板を掲げた方が良いよね、ということで立ち上げました。

 立ち上げ当初、一緒に活動する仲間もいたのでしょうか?

伊藤さん) 自分と、もう一人の2人だけでした。今も一緒に活動しています。ほかにも協力してくれる方はいたので、その方々と協議の上で立ち上げました。

 震災直後はボランティアコーディネーターをされていたということ。今は子どもたちの受け入れや学校での活動が多いと思いますが、最初の頃からそうした意識はされていたのでしょうか?

伊藤さん) はい。実は、震災直後から考えていました。あの頃って、体育館が避難所になっていて、校庭も使えない状態でしたよね。大人も、子どもには目の届く場所にいてほしいっていう感覚があって、子どもたちは我慢してずっと座っていたし、親が大変そうだからわがままも言いづらい。夜泣きするとか、突然走りまわるとか、ひたすら黒い絵の具を塗るとか、色々なことがありましたよね。

 確かに、大人の言うことを聞かなきゃいけない、我慢しなきゃいけない、という雰囲気でしたね。

伊藤さん) そんな中で、子どもの居場所づくりとして、大学生をはじめとしたボランティアさんと一緒に広場でおもいっきり遊べる場づくりを行いました。
もう一人のスタッフの柏崎が、元々自然学校で働いていたんです。彼女は釜石の高校を卒業して、北海道の大学に行ったのですが、大学卒業後、自然学校業界で全国的に有名な「NPO法人ねおす」のスタッフとして働いていました。彼女は震災の翌日にフェリーに乗って、翌々日に釜石に戻って、NPOのスタッフと共にボランティアセンターを立ち上げたんです。ねおすのミッションの一つに「災害時の支援活動」が含まれていたので、ねおすの代表ともう1人のスタッフと3人ですぐに動いてくれたんですね。そして、全国の自然学校が応援に来てくれた。

 日頃自然学校の活動で子どもを受け入れていても、突然震災があって、被災した子どもを預かるのは勇気が要ることですよね。私の周りではそうした支援はありませんでしたが、もしあったら、子どもたちは気持ちが楽になったと思います。すごいスピード感でやられていたんですね。

伊藤さん) そうですね。元々自然学校のネットワークがあったことが大きいと思います。
仮設住宅ができた後も、子どもたちの居場所が無くなってしまったという根本的な課題は変わらないことから、「放課後子ども教室」という小学生の放課後の居場所づくりに取り組み、それは今でも続いています。子どもの居場所づくりの活動から始まって、今は、担い手育成に段々シフトしてきています。

 ステップアップしているのですね。

 

釜石のファンを増やす

伊藤さん) とは言え、団体をつくって初めの7年は観光の活動がメインでした。2011年5月から、ボランティアツーリズムの受け入れをしていました。

 2カ月後から!それも早いですね。

伊藤さん) あの頃は「用もなく被災地に行くな」という報道も目立っていたころですが、自分たちは、ボランティアツーリズムで来てもらえるように発信をし続けました。ただボランティアをして帰っていくだけでは、どこでやっても同じになってしまうので、釜石の印象が残らずもったいないなと思ったんですね。最大の目的であるボランティア活動をしっかりと行いながらも、地元の人と出会う、美味しいものを食べるなどを組み合わせてパッケージ化しました。そうすることで、釜石のファンになって、長く関わり続けてくれるような人を増やしたいと考えました。

 興味関心を引き続ける仕組み作りですね。

伊藤さん) あとは、経済を回していかないと本当の意味での復興には結びつかないと思い、有料で実施しました。2011年5月3日に実施したのが最初だったのですが、実際、やってみて良かったなと思いました。その後はリピーターの方に支えていただいています。

 震災後の早い時期に来てくれた方は、その後も何度も来てくださる方は多いですよね。

伊藤さん) そうですね。その後も2011年中に、ツアー企画を何度か実施して、事業として行うようになりました。各地の団体や旅行会社、大学からオファーが入り、2人で対応するのは大変でしたが、ボランティアや大学生インターンの方たちに協力してもらいながら、何とか回していました。

 事業として実施されるようになってからも、スタッフは増やさなかったのですね。

伊藤さん) 観光といっても、ボランティアベースの団体なのであまり高額なコーディネート料もいただけませんし、そんなに儲けが出るわけではなかったので、自分で問い合わせを受けて調整して、当日のガイドもするような感じでした。

 

人と人をつなぐ

伊藤さん) ただ、当初からこだわったのは、地元の人に登場してもらうことです。最初の頃は、がれき撤去などの作業が中心でしたが、ある程度落ち着いたタイミングから、地域の人の生きざまや哲学に触れられる、「人に会いに行く旅」を意識していました。

 時間がたつほど、「人に会いに来る」というのが目的になっていく感じがします。団体立ち上げの時点で、地域の方の関わりはあったのでしょうか?

伊藤さん) はい、意図的にそういう仕掛けをしていました。
自分も、3.11の日に津波からギリギリ助かった身なので、次の日から前向きになれたわけではありませんでした。家族を探したり、その後、数日は空白の時間があります。でも、外から支援に来てくれる人たちがいて、昨日通れなかった道が今日は通れるようになるとか、そういう日々の変化を目にして、「これだけ人が来てくれるならどうにかなるかも」と、気持ちが変わった瞬間はありましたね。感謝しながら少し前向きになって、「自分がやることは、これだ」と思ったんです。それで、自分みたいに前向きになる地元の人をひとりひとり増やしていくことが、あのタイミングでは大事な事かなと思ったんです。それでボランティアコーディネーターという手段を選んで、とにかくいろんな人に会うことをこだわったのはそこです。

 すごく共感するお話です。私自身も、震災後に体育館で過ごしていた時、外から支援に来てくれる人が、服を持ってきてくれたり、心遣いをしてくれることが有り難くて、すごく助けてもらったという実感があります。だから、次は自分が何かしたいと思い、災害ボランティアに行くようになりました。お世話になった方の恩をつないでいきたいという思い、すごく良くわかります。

 

10年、20年後の担い手が育つ仕組みづくり

 先ほど、今は「担い手育成」のフェーズになってきているというお話がありました。私は震災当時、高校生だったのですが、地域のことに関わる機会は無くて、大学生になって初めて地域や震災のことに関わるようになりました。なので、若いうちに関わる機会はあまりないと思っていたのですが、その点、釜石や大槌では高校生のうちから地域のことや震災伝承に関わっているイメージがあります。伊藤さんはどのような活動をされていますか?

伊藤さん) 2014年から、高校生と一緒に活動を始めました。当たり前ですが、「10年」で震災復興が完成するわけではなく、そこから10年、20年先が大事だと考えたときに、次の10年を一緒につくっていく人材がいないと立ち行かなくなるな、と思ったんです。地元の高校生は、大学進学で一回地元を出ていくのですが、その中でも志を持って帰ってくる人もいるし、帰ってこなくても関われる仕組みがあると良いですよね。そういう仕込みをしておかないといけないなと、本格的に始めたのが2014年でした。

 2014年となると、初めに関わった学年の子は、そろそろ社会人になる頃なんですね。

伊藤さん) 一番最初に関わった子は、次の春に社会人になるのですが、彼女との出会いは自分にとっても大きな経験となりました。彼女が震災当時通っていた小学校は避難所になって通常の卒業式ができなかったのですが、避難所にいた地域の人たちが卒業式をしてくれたことにすごく感謝をしていて、何か応えたいと、吉本興業に手紙を書いて芸人さんを呼んだりしたこともありました(笑)。震災以前は「早くキラキラした都会に行きたい」「こんな田舎早く出たい」と考えていたそうなのですが、色んな経験をしながらどんどん成長していって、「将来は釜石の地方創生の役に立ちたい」と東京の大学に進学しました。

 すごい行動力ですね!

伊藤さん) 経験や行動が積み重なって、地域に愛着が生まれたのだと思います。今回の就職先は釜石以外の地域ですが、釜石も関わる可能性のある就職先なので楽しみです。

 帰らなくても、思いが根底にあれば、関わり方は色々ありますよね。

伊藤さん) そうですね。そうやって、若者が育つ仕組みをつくりたいと思って、活動しています。

 

防災教育のパートナーになる

伊藤さん) そういう中で、大きなテーマは防災教育です。釜石でも、小中学校のカリキュラムに総合学習での「いのちの教育」として防災教育が含まれています。学校の先生も頑張るのですが、地域側もしっかりパートナーとして機能していく状態をつくることが大事だと思っています。

 「子どもたちへの防災教育は大事だよね」という認識は多くの人にあると思うのですが、そのために具体的に何をするか考えるのは、なかなか難しいですよね。関心の高い先生がいるかどうかも大きいです。

伊藤さん) 防災に特化したことではないのですが、去年から釜石高校で、放課後の居場所づくり「774プロジェクト」に関わっています。週2回、17時~19時半。生徒たちが自由に出入りできて、自習スペースで勉強する子もいれば、お菓子を食べながらおしゃべりしたり、ボランティアの相談や自身のプロジェクトの相談に来たり。プロジェクトの伴走が自分のメイン担当の部分なのですが、そういうことが実現できているのも、良い意味で突き抜けた先生がいたからですね。

 学校を舞台に、子どもたちと一緒に活動できるのは、そういう先生の存在があってこそですよね。

伊藤さん) 釜石高校は、「スーパー・サイエンス・ハイスクール」の認証を受けていて、いろんなテーマで大学のゼミ形式で活動をしているのですが、「防災」も一つのテーマになっていて、今年度から防災ゼミのサポート講師として、生徒の探究学習に関わっています。

 かっこいいですね!私も地元の高校で教員をしている友人と、SDGsと絡めた防災のプログラムをつくって去年から講師をしています。高校1年生は必ず受けるプログラムで、世に出る時には防災を学んでいる人材になるようにと、一緒につくりました。立場が違っても、仲間意識があると、色んなことができますよね。そういうのが増えていくといいなと思っています。今、震災伝承に関わる人たちの間でも、「次世代育成」をどうするか、壁に直面しているタイミングだと思うので、事例を共有しあうことで大きな流れをつくっていければ良いですよね。

 

愛着を育むきっかけづくり

伊藤さん) 地域への関わりということでは、「全く興味がない層」「何となく関わりたい、興味はあるけど関わり方が分からない層」「すでに関わっていてアクティブに動いている層」という3つに分かれています。このうち、真ん中の層のボリュームが圧倒的に多いような気がしていて、この層をどう巻き込んでいくかということを、ずっと考えています。
そこで、ボランティア活動を通して地域と関わる場を提供することにしました。震災直後からボランティアコーディネートをしていて、その仕組みは持っているので、それを地元の高校生向けにやったんです。海岸清掃とか、地元のお祭りとか、ボランティアでちょっと関わってみて、「楽しいからまたやってみよう」「これも行ってみよう」とか、さらには自分で地域貢献のプロジェクトを考えるようになる子もいるんです。

 自分で課題意識をもって能動的に動ける人に勝手になっていくんですね。

伊藤さん) 関わるからこそ地域に愛着が生まれて、愛着があるから地域のために何かしようと思うようになる。高校を出るまでに、そう思ってくれる子をいかに増やせるかが勝負だと思っています。

 2014年に始めた当時と方向性は変わらないですね。

伊藤さん) とはいえ、当時はまだ仕組み化できていませんでした。もっとできることは何かを考えたときに、ボランティア活動が良いなとなりました。

 きっかけがあれば、全員ではなくても、興味を持つ子の可能性が広がりますよね。

伊藤さん) 今は、地域で生まれたチャレンジをどう持続させていくかというフェーズになっています。自分の関わりの中ですと、観光地域づくりの分野は、観光振興ビジョンの策定や観光DMO法人の設立で仕組み化が進んできたので、あとは地域教育、次世代育成をいかに仕組み化していくかが課題だと思っています。まだやり切れていないのですが、13年目くらいまでには仕組み化できたら良いなと思っています。

 教育機関等と連携していくイメージですか?

伊藤さん) そうですね。高校生への地域教育は、始めた頃は自分一人でしたが、今は地域おこし協力隊なども含めてプレーヤーが増えています。ここを軸にして、持続するような仕組みをつくっていきたいなと思っています。なかなか難しいですけどね。

 難しいけど大事なことですね。

 

オンラインから広がる興味

伊藤さん) 一方で、発災からちょうど10年ということで縁が切れる部分もあるのではないかと思いますし、コロナで収益が出ずに苦しい状況はあります。

 人に訪れてもらえなくなったのは、影響が大きかったですね。

伊藤さん) それもあって、今年から、釜石の子どもたち向けにオンラインの学習塾も始めました。

 どんなことをされているんですか?

伊藤さん) 勉強もしながら、子どもたちがそれぞれ興味を持っている分野での探究活動のサポートもしています。
学習指導の方は、盛岡の「個別指導・集団授業SoRa」の先生たちが、タブレット越しに講師を務めてくれています。
うちの団体は学習能力向上をメインに据えているわけではありませんが、中学生になってテストや受験と向き合う年齢になると、いい点数が取れないと自然体験やボランティアといった活動への参加を自粛させる家庭もあったりしますが、それって育ちにとって大きな機会損失になってしまうので、じゃあどっちも担保してしまおうということでスタートして、徐々に生徒が増えてきています。

 面白いですね!

伊藤さん) この間、イギリスの方とオンラインでつないで、マイクロプラスチック問題を考えるセミナーを行いました。学習塾だけど、新しいテーマに触れる機会をつくったり、将来のキャリアを考えたり、ということもやっています。「勉強できるかどうか」も大事ですが、「学ぶ意欲があるかどうか」で、同じ時間を過ごしても効果は全然違ってきますよね。防災教育もそうだと思います。意識を持って取り組んでいる子の方が、絶対学びが深い。相乗効果があることなので、そこを同時に上げていきたいと考えています。

 対面に戻るのも大変そうですね。

伊藤さん) この間にオンラインが普及して、どうにかなることを知ってしまいましたよね(笑)。でも、田舎にとってはメリットですし、興味を持つきっかけづくりとして活用して、世界に飛び出して行きたいという子を育てることができるという意味では、良い変化です。防災についても、同じことが言えると思います。

 私も、オンラインでの案内も結構しましたが、やっぱり興味を持って、現地に来てくれることがありました。

伊藤さん) そうやってつながっていくと素晴らしいですよね。

  そう思います。伊藤さん、今日はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました!

 

インタビュー後記

現在、準備中です。公開まで、今しばらくお待ちください。

 

インタビュアー / 永沼 悠斗(ながぬま ゆうと)

3.11メモリアルネットワーク 若者プロジェクトのメンバー。2021年6月からは、ネットワークの理事を務める。
宮城県石巻出身で、3.11当時は高校生。現在は、大川伝承の会で語り部を行うほか、「失われた街」模型復元プロジェクト記憶の街ワークショップin大川地区 実行委員も務める。
趣味は、読書(東野圭吾好き)、ウィンタースポーツ、お茶(日本茶)。

前回のインタビューはこちら

第11回 熊谷心さん(宮城県気仙沼市)