【第1回】多様性を前提に 生き物レベルで災害を伝えていく

今回から始まりました、3.11メモリアルネットワークの「会員インタビュー」。

第1回目のゲストは、いわき湯本温泉「古滝屋」第16代当主で、2018年12月からネットワークの理事を務める里見さんです。

幼少期のことから、震災後の活動、今後の展望についてお話を伺いました。
穏やかな雰囲気の中にも、里見さんの強い思いが伝わってきました。

里見 喜生(さとみ よしお)

福島県いわき市出身・在住
3.11の自然災害・原子力災害で、運営する旅館が大きな被害を受けたが、再建。旅館は継続しながら、観光業から未来づくり業へ転身。障がい児支援を行う「NPOふよう土2100」、衣食住の持続可能社会を目指す「おてんとSUNプロジェクト」、原子力災害を考察するフィールドガイド「Fスタディツアー」に携わる。

いわきの魅力

 本日は、よろしくお願いします!
早速ですが、いわきはどんなところか教えてください。

里見さん) ローカルはどこもそうだと思いますが、いわきには農業も漁業も林業も揃っているし、自然に恵まれていますよね。海も山も渓谷も川も、ついでに温泉まであるという。
僕の父親が地理歴史好きだったこともあって、小さい頃は、化石とりとか地元の行事に連れて行ってもらったりしていました。

 温泉があるというのは特徴ですね。どのくらい昔からあったんですか?

里見さん) 温泉は1200年前から。古滝屋は300年前、正確には325年前から。元禄8年創業です。

 旅館のお名前に「元禄」と入っているのは、元禄時代に創業されたからなんですね。

里見さん) そうなんです。

 小さい頃からこの旅館を継ごうと思われていたんですか?

里見さん) 実は、それはなかったんです。むしろ嫌で、家出をするように東京の大学に行きました。

里見さん) 高校受験の時、ここは一部木造の旅館だったんですね。その頃って宴会のお客さんがたくさんいらっしゃってて、自分の勉強部屋の隣が宴会場で、夜通しカラオケとか大騒ぎが聞こえて来て、勉強どころじゃない。

 なるほど…環境に不満が。

里見さん) 受験勉強のモチベーションは「家出」でしたね(笑)大義名分ができたというか。

 東京の大学を卒業された後は、どうしようと思っていたんですか?

里見さん) もともとインテリアが趣味で、将来そういう職に就きたいなと。
実際に就職したのは住宅メーカーでした。設計営業の仕事で、自分でグリッド用紙に間取りを書きながらお客さんとお話を進めるような。「手狭なので建て増したい」「子供が大きくなってきたので新しく1、2部屋作りたい」とか、希望を聞きながらどういう間取りにするかを決めていきます。

 お客様の人生に大きく関わるような仕事ですね。

里見さん) そうですね。結婚、進学、お家を建てる・・・人生のいろんな決断のタイミング、イベントに立ち会いました。

 設計営業の仕事は楽しかったですか?

里見さん) 「仕事が楽しい」というのは後からで、最初は「上司が喜ぶ顔を見たい」と考えていましたね。
そのなかで、話術であったり、技術であったり、徐々に付いてきた感じです。単に知識があるからって、お客様は選んでくれるわけでじゃない。信じてもらうこと、信頼関係が大事だなと。

 人間性が重要なんですね。

里見さん) 一方で、年に2回、いわきに里帰りするたびに、実家の旅館の接客が「いまいちだな」と思うようになって。

 外に出たのをきっかけに、古滝屋を客観的に見るようになったんですね。

里見さん) そうね。住宅メーカー時代、家を建てるためにお客様のライフプランの入り込んだ話もさせてもらう必要がありました。
それで、お金のことも勉強する必要が出てきて、その延長で実家の旅館の会計書類も見るようになっていったんです。

 

古滝屋の”改革” 家族のための宿に

 そこから実家の経営に関わり始めたんですね。

里見さん) それと、父の調子悪くなったタイミングと重なって、実家を継ぐことになりました。
ただ、僕は旅館は全然興味なかったものですから、どうせここでリスタートするなら、改めて旅館の仕事についてを勉強したいと思って。穴原温泉の「吉川屋」で1年間修行をしてから、古滝屋に戻ってきました。
住宅メーカー時代の経験も活かして、お客さんの目線で、家族に喜ばれる旅館づくりを目指しました。具体的には、赤ちゃんと一緒に入れるように、貸切風呂をつくりました。

 小さい子どものいる親御さんは、他の人に迷惑かけないように、と気にされますよね。

里見さん) そう。だから、子どもと親の視点を大事に、オールウェルカムというのを意識していましたね。子どもが喜べば親も良い思い出になりますしね。
 
「改革」なんていうのはおこがましいけど、自分の思いをこの宿に込めました。
実際、ここの宿って昔はそうだったんですよ。最近、全国各地でいろんな方とお会いするんですが、80歳くらいのおじいちゃんおばあちゃんに「新婚旅行で行ったことあるよ」と言われたり、さらにお孫さんを連れて来たとか。
時代を超えて、家族の思い出の節目節目に利用していただいていたんだなと。

古滝屋の1階ロビー近くには、2011年以降に里見さんが方々で集めたたくさんの書籍が並ぶコーナーがある。

風情ある古滝屋の外観。

 住宅メーカーでの「人生の大切な時に関わる」というのは、古滝屋も同じだったんですね。

里見さん) はい。旅館を継いだときは、家族のためというのを意識していましたが、障がいをもった方々のためにできることも考えるようになりました。
一緒に働く機会をつくったり、旅館にご招待したり、あとはフロントのメンバーで介助を学んだりもしています。

 旅館として社会貢献活動をされているんですね。

里見さん) 15年くらい前から始めたのですが、東日本大震災があって、よりそういう思いが強くなりました。
なので、旅館というより「公民館」のような場所にしたいと思っています。

 

自然災害はノーマークだった

 自然災害については、幼少期から意識されていたんですか?

里見さん) 自然災害はね、僕は全然イメージを持ってなかったですね。ほぼ皆無。
僕の父親は地質も詳しかったのですが、「ここは100%地震がない」と断言していましたしね。津波もないし、とにかく「自然災害がないのはいわきの特徴」と。
「いわき」という地名も、大昔の地名では「石(の)城」と書く。それくらい岩盤が強いという。

 そうだったんですね…いや、意外というか、自然が豊かなところって自然災害と隣り合わせという感覚があるので、全くノーマークというのは驚きました。

里見さん) 夏は涼しくて冬は暖かいし、こっちは台風もあまり来なかったでしょ。

 そうですね。今は気候が変化して台風も来ますが、以前は逸れて行ったり、温帯低気圧に変わったりしていました。

里見さん) そうそう。なので、天災、自然災害については、僕の人生のなかではノーマークというか、気にすることもなかったですね。

里見さん) 恵まれた気候も含め、地域の良さって、離れて初めて気づいたりするものですけど、震災があって、地元のことを深く知ったり考える機会が増えたように思います。若い人でも地元愛を持つ傾向が出てきたのは、嬉しいことですね。
震災前までは、小中高校生、大学生が大人と同じテーブルについてお話することってほとんどなかったように思いますが、話すチャンスも増えましたよね。

 確かに、子どもの意見を聞こうとか、社会政策に還元しようということは、あまりなかった気がします。

里見さん) あと、会議するときは、イノシシでも、ネコでも、動物に参加してもらうといいと思う。地球は人間だけのものだけじゃないし、人間だけで集まって会議するのはナンセンスだと思うね。

 

いい土があれば、いい芽が出る

 里見さんは、東日本震災直後から「ふよう土2100」で活動されていたんですよね。その背景を聞かせてください。

里見さん) 震災後、避難所はとにかく大変な状態だったのだけど、障がいのある子どものいるご家族がすごく大変な思いをされていたんです。
発達障害の方は、環境が変わると一気にストレスが表面化します。今まで静かに家族で暮らしていた場所を急に追われてしまって、行動に表れてしまうのですが、本人が悪いわけではないんです。
ある時、体育館の裏側で、障がいのある子どもをもつ親御さんが、ほかの避難者から「うるさくて困る」「集団生活なんだから協力してくれ」「しつけがなってないんじゃないか」と言われていたんです。知らない方からすると、そういう括りで捉えてしまう。
それは、その一件だけじゃないんです。ほかの地域や避難所でも、悩みを抱えているお母さんもいるし、自治体も悩んでいました。

 苦情が出た時にも、何を軸に対応していいのか難しいですよね。

里見さん) はい。それで僕は、障がいをもつ子どもの家族のために自分の時間を使おうと思い、それが「ふよう土」の活動につながっていったんです。

 旅館立ち上げの時から子どもや障がいをもつ方のことを考えてきたことも影響しているんでしょうか。

里見さん) そうですね。勢いで始めて、お金もないのに平家の六畳二間の部屋を借りて活動していました。

 どのような活動をされていたんですか?

里見さん) お母さんのおしゃべりの場づくりと、子どもの預かりを一緒にやっていました。浜通りから避難してきていた障がいをもつ子どもたちを放課後預かる場所がなかったんです。

 なるほど。ちなみに、「ふよう土2100」という名前には、どういう意味が込められているんですか?

里見さん) 僕の岡山の友人が「ふよう土」という言葉を使っていて、それは「自分が有機ふよう土になろう」という意味なんです。いい土があればいい芽が出る、間違った土というか地域であれば人はきちんと育たない。そういう思いで、「ふよう土」という名前にしました。

「腐葉土を販売しているNPOですか?」なんて言われたりするときもあるんですが(笑)

「2100」というのは、「西暦2100年には今よりも人に優しく、思いやりのある社会にしよう」という約束の意味です。
「里見さん、その頃には死んでるでしょ」なんて言われるんですけど、土になることが目的なので、死んでいていいわけです。

 大事なのは、より良い社会が実現されて、思いを継いでいくことですね。それは、震災伝承にもつながってくるんじゃないかなと思いました。

 

土地の奥行き、複雑さを伝える

 震災伝承をする上で大切にしていることはありますか?

里見さん) 技術でいうと、その当時のことを、ものや言葉、録音したものとかを残すことが大事だと思っています。
あと、思い出ですかね。

 思い出は、どういう風に残せるでしょうか?

里見さん) 震災直後ではなく「直前」のことですよね。風景であったり、その街の歴史、文化、土着料理、匠の人、芸能、伝統行事、風土であったり。

 僕も震災伝承活動をしているなかで、多くの人が興味を持たれるのは震災後のことなんですけど、震災前に暮らしてきた歴史を踏まえないと語れないと思っています。

里見さん) それ、大事なところですよね。
伝えたいものは「失ったもの」なんですね。お家とかアルバムとかもあるんだけど、どちらかというと、バックグラウンドのような。

 アイデンティティ、ですね。

里見さん) そうですね。自分自身の、土地のアイデンティティだよね。それを、一緒に伝えていきたいですね。
きれいになったものを見てもらって、「こうなりました」というだけでなく、震災以前の街、人を知っているからこそ自分の言葉で伝える意味があると思っています。

 「学ばなければ」という一方で「学びづらさ」もあります。災害や福島の問題にどう向き合えば良いか、何が必要か、里見さんはどう考えているのか気になります。

里見さん) 津波の伝承は、生き残った方のお話を聞いて自分事にしたり、防災のための学びが軸になると思います。
原子力災害は、いろいろ切り口はあるけど、複雑ですよね。つきつめると「贅沢」とか「便利」を追求した結果が、原子力災害に変化したわけで、つまりそれを否定することは自分にも跳ね返ってくるということ。亡くなった方は22,200人ですけど、目の前にいないから見えないだけで、苦しんでいる方はその何倍もいるわけです。

 はい。福島の問題を通じて、そのすぐ隣にある生活と切り離せない環境問題や福祉の問題に「難しいけど、自分自身で向き合っていく」その過程が大事だと思います。

 

五感で学ぶ大切さ

 3.11メモリアルネットワークでは「人材育成」が活動の柱の一つになっていますが、それについて里見さんのお考えを教えてください。

里見さん) 育成というよりは、「誰と会うか?」「誰と過ごすか?」は、僕はすごく重要だと思っていて。

 里見さんが住宅メーカーで尊敬する上司と出会ったことも、そうですね。

里見さん) はい。色んな考えの方からたくさんお話を聞いて、自分の指針や軸、フレームをつくっていってもらえると良いなと。僕も様々なジャンルの方をご紹介できます。

 じゃあ、里見さんに「こういうことを学びたい」とご相談してもいいですか?

里見さん) もちろん!

 有難いです!
学校の勉強とは違い、自分の軸をつくるというのは難しいことですよね。ネットワークができて、周りの人に聞いたり話したりできるようになってはきたんですけど。

里見さん) それは良いことですよね。どんどん頼った方が良いよ。

 次回はぜひ、若者プロジェクトのメンバーと一緒に福島に来たいと思います。

里見さん) 学生の予算が厳しい分、修学旅行を増やしてもらって熊本や福島にも行けたらいいよね。人の話を聞いて、五感で学ぶ。
学生といっても、100%大人と同じ感性を持ってると僕は思ってる。「子どもだから」「学生だから」わからないということは、絶対無いと思います。

 生きる力を育てることは日本中の課題ですが、なかなか実現できていませんよね。
自分たちの世代は、東日本大震災を経て、より深く学ぶきっかけをもらったと思っています。何もしていなければ0%ですけど、学びの機会をつくって、ネットワークにしていくことで、1%ずつでも可能性を積み重ねていくことになってるのかな思います。

里見さん) 時間はかかるし、なかなか結果や目に見えるリターン、効果は見えづらいかもしれないけど、着実に積み上がっていると思いますよ。
それぞれの活動も、3.11メモリアルネットワークの活動も。だから、根気よく、心折れずにね、やっていきたいですね。僕も応援しますので!

 ありがとうございます!
一人一人が「種」を持ってると思うので、まさに「ふよう土」のように育ててくれる方がいて、どう伸ばしていくかは自分次第ですね。

 

すべての生き物でワンチームに

 震災10年目を迎えるにあたって、里見さんの今後の展望を教えてください。

里見さん) 十年一区切り、福島では天災も人災もありました。
原子力災害については、経済状況やエネルギー政策など複雑な問題がありますが、原子力災害を経験した福島に住む人間としては、とても難しいことですがやはりきちんと向き合っていかなくちゃいけないと思います。
今、古滝屋の旅館の一角に、原子力災害「考証館」をつくる準備をしています。原子力災害が起こったバックグラウンドや災害後10年間のことを展示し、そこでみんなが語り合えるような場にしたいと思っています。

 最後に、震災10年目というのも含めて、3.11ネットワークのこれからの役割についてお話を聞かせてください。

里見さん) 震災から10年、小学生だった子が大学生に、中学生が大人になっています。若い方にとっては大切な10年でもありましたよね。
僕はもう50代ですが、次世代に伝えていきたと、強く思っています。

福島だけではなく、宮城・岩手と3県で、それに取り組んでいる3.11メモリアルネットワークの試みは、すごく大事だと思っています。

2019年3月に行われた「第2回伝承シンポジウム」に、パネリストとして登壇した里見さん(右から2人目)。岩手・宮城・福島・和歌山で伝承に取り組むメンバーと「響き合うために。」のテーマで議論を深めました。

里見さん) ネットワークは限られた人だけでつくられるものでは絶対ないと思ってます。老若男女、肩書き、立場、全部取っ払って、それぞれ地球に生かされている人間または生き物レベルでこの災害を伝承していく。僕は、多種多様な意見があるほど、伝承はしやすいのではないかなと思っています。
そういう意味で、この3.11メモリアルネットワークは絶好のステージだと思っています。この舞台に全員で乗って、一緒に活動していけると嬉しいですね。

言葉にできている方、まだできていない方もいますが、スピードは関係なく、一緒に良い地域、良い日本、良い地球にしていければと思います。動物も含めて、一緒にスクラム組んで、次に必ず起きる災害を、生き物すべてで乗り越えていきたいなと思います。

ネットワークでは、これからフォーラムや研修も予定しています。皆さん、どうぞ気軽にご参加いただければと思います!

 里見さん、ありがとうございました!

 

インタビュー後記

第1回目のインタビューでは、里見さんの研究者のような視点と朗らかな人間性に触れることができました。
未来のことを議論するときはイノシシやネコも一緒になってするべき、人間中心になってはいけない、とお話しされていたことが印象に残っています。

原発事故や、その後のいじめ問題や移住の問題などの二次的な人災も含め、わたしたちが福島から学ぶべきことはたくさんあります。「触れにくい」「分かりにくい」で済ませず、日本に生きる自分事として学ばなければいけないと思いました。

 

実は今回、里見さんから、本を2冊いただきました。

1冊目は、古滝屋さんの歴史を記した本で、なんと里見さんがご自身でつくられたものです。

「これ(本)も伝承の一つですね。僕の父親は11年前に亡くなったのですが、生前に里見家のことや古滝屋のことを全然教えてもらえていなかったんです。そこで、例えば僕が明日死んだら、もっと伝わらなくなると思って、古滝屋のヒストリーを集めることにしたんです。僕が死んでもこの本があれば、古滝屋とか里見家の軸、指針がぶれないと思って。」と、里見さん。
伝承活動をする上で、大事な視点だと感じました。

 

2冊目は、三原由起子さんの『ふるさとは赤』という本です。

日常のこと、福島のことを詩で表現した本です。日常を題材にされている詩だからこそ、震災前と震災後の福島、原発の話のギャップが強く感じられました。

 

どちらも素敵な内容で、震災に限らず、伝承していく形は多様で多彩であると感じました。

 

会員インタビュー第2弾も、どうぞお楽しみに!!!

 

インタビューアー / 永沼 悠斗(ながぬま ゆうと)

3.11メモリアルネットワーク 若者プロジェクトのメンバー。
宮城県石巻出身で、3.11当時は高校生。現在は、大川伝承の会で語り部を行うほか、「失われた街」模型復元プロジェクト記憶の街ワークショップin大川地区 実行委員も務める。
趣味は、読書(東野圭吾好き)、ウィンタースポーツ、お茶(日本茶)。