岩手県宮古市

大棒 秀一さん

過去の災害を検証し、正しく備える。
岩手県宮古市出身、在住。東日本大震災当時は東京で診療放射線技師の仕事をしていたが、震災を機に故郷に戻る。2011年10月、田老(たろう)の復興支援を目的に「NPO法人立ち上がるぞ!宮古市田老」を設立。その後「津波太郎」に改称し、防災・減災やまちのこしの活動を続けている。
伝えていること

「津波防災の聖地」をキャッチコピーにして伝承活動

大棒さんは、NPO法人津波太郎の理事長として、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた田老地区で、防災や震災伝承、まちのこしに取り組んでいます。

田老地区は津波で幾度となく壊滅的な被害に遭い、津波太郎と揶揄されてきた地域でもあります。その度に、地域ではこの地で生き延びるための様々な工夫が行われてきました。大棒さんの津波防災対する危機意識も、昭和三陸津波後の避難訓練がルーツとなっています。

昭和三陸津波は、1933年3月3日深夜に発生。田老地区では午前3時ごろに10mの津波が襲ったとされています。大棒さんが幼い頃、田老地区では津波が来たのと同じ日、同じ時刻に避難訓練が行われてきました。避難場所で焚火を囲み、長老から「昭和の津波はね…」と教えを聞く。それが防災教育となっていました。

「なぜ181人の犠牲が出たのか」

田老は過去の津波被害から今のJアラートの元になった警報システムが生まれた地であり、2003年から「津波防災の町宣言」を掲げています。しかし、東日本大震災では181人もの人が津波の犠牲となりました。大棒さんは、「なぜこれほどの犠牲が出てしまったのか」との思いから、震災当時の検証を行いました。

検証を通して分かったことは、気象庁が最初に発表した「3mの津波がくる」という放送の後、防災行政無線が途絶えていたことです。田老地区では1960年のチリ地震津波が3mで、当時ほとんど影響がありませんでした。「3mなら大丈夫」と思い、堤防に津波を見に行った人もいるそうです。

まちづくりにおける防災・減災政策は、市町村合併などによって優先順位が変わってしまうこともあります。大棒さんは検証結果をまとめ、行政に提言をしました。

2019年2月には、3.11メモリアールネットワーク看板設置プロジェクトにより、提言や過去の津波被害を受けての取り組みをまとめた看板が設置されています。

「津波防災の聖地『田老』伝承館」の開設

検証を通じて、「しっかり検証し、伝えていくことが、津波防災・減災に寄与する」と感じた大棒さん。その伝承活動は現在も続いています。

2020年7月には自宅近くに「津波防災の聖地『田老』伝承館」を開設。田老に多く残されている明治・昭和の津波の資料も展示しています。「どのように津波防災に備えるようになったか、復興の変遷を踏まえながら伝えていきたい」と伝承館の展示物、資料を整備しています。

 

「津波防災シェア期間」「世界津波の日」にはイベント開催

東日本大震災の津波から10年の節目を迎えた2021年は、3月3日~3月11日を「津波防災シェア期間」と定め、期間中の日曜日にイベントを実施。昭和三陸津波が発生した3月3日と東日本大震災が発生した3月11日には田老地区の防潮堤の上で、追悼式が行われました。
さらに、2021年11月3日には「世界津波の日」に合わせ防災ウォークを実施。同年11月6日から7日には、国民全体で防災意識を向上することを目的とする防災推進国民大会「ぼうさいこくたい2021 in釜石」にて、プレゼンブースの災害教訓・伝承コーナーに出展し活動を発信しました。

今後の取り組みとして、昭和三陸大津波から90年となる2023年3月に防災イベントを企画中です。田老の津波防災の教訓と先人の取り組みを伝え、今後の世界の津波防災・減災に繋げる活動は続きます。

 

お問い合わせ先
お問い合わせ先 NPO法人 津波太郎
所在地 〒027-0307 岩手県宮古市田老四丁目9番7号
E-mail tachiagaruzo20110311@yahoo.co.jp
※@は半角にしてお送りください。
URL https://tunamitarou.web.fc2.com/
語り部の料金

無料
(コース)
A 基本コース:津波防災の聖地コース(1時間コース、2時間コース)
B 自由コース:目的、時間など相談
(内容)
「津波防災の聖地」をキャッチフレーズに明治、昭和、平成の津波の特徴と復興津波防災まちづくりに力を入れて案内をしています。特に力を入れてるのは、津波警報技術の精度を促進して津波警報の信頼を高め警報によって避難先を決める社会の構築を呼びかけています。

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