【報告】全国教職員対象311被災地視察研修(8/6~9)

◆全国の教職員対象「311被災地視察研修」を実施しました/20道府県37名が参加、東日本大震災の学校被災現場の知見と教訓を共有しました

全国の教職員を対象に、東日本大震災の学校被災の知見を学ぶ「311被災地視察研修」を8月6-9日の3泊4日の日程で実施しました。

宮城教育大学防災教育研修機構が2019年度から2024年度まで6年間で計10回実施した研修を、3.11メモリアルネットワークが同行程・同内容で引き継ぎ、実施するものです。宮教大特任教授として研修を企画運営した当法人代表理事武田真一が同行案内する形式も同じです。

今回は、都道府県教委・政令市教委・私学担当部署を通じて周知をお願いした結果、全国から110件の応募・問い合わせがあり、地域バランス等を勘案して小中高校・特別支援校の校長、教頭、教諭、養護教諭ら20道府県37人の参加を決めました。猛暑続きでしたが、おおむね好天に恵まれ、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容は宮教大研修と全く同じです。宮城県気仙沼市、岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸町戸倉地区、石巻市大川小震災遺構、門脇小震災遺構など被災した学校跡などを巡り、当時の校長や生徒、遺族らから話を聴きました。ワークショップなどで防災教育に取り組む姿勢、学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。参加者には修了証も授与されました。

終了後のアンケートでは、参加した37人全員が「期待以上だった」と答え、「これほど内容が濃い素晴らしい研修は初めて」「年代や校種、職名が異なる人たちが全国から集まり、交流できたことが財産になる」「多くの教職員が受講できるよう継続してほしい」と自由記述欄に評価が相次ぎました。

参加費は宿泊費・バス代・講師謝礼等で7万5000円となり、3分の2が全額私費参加でしたが、6人が「研修内容に照らして安い」、31人が「研修内容に照らして妥当」と回答しました。

311被災地視察研修は今後も年2回、8月と2月を基本に定期実施してまいります。また、過去の参加者向けに福島被災地の視察も随時企画する予定です。

 

【概要】

日程

  • 2025年8月6日(水)-9日(土)の3泊4日
  • 詳細日程は、別紙1(クリックするとPDFが開きます)の通り
  • 参加費等の案内文書は、別紙2(クリックするとPDFが開きます)の通り

参加者概要

  • 沖縄県2人、熊本県1人、長崎県1人、福岡県1人、広島県1人、岡山県1人、愛媛県1人、高知県4人、大阪府1人、京都府1人、石川県1人、愛知県4人、三重県3人、静岡県2人、神奈川県2人、千葉県2人、茨城県2人、秋田県1人、青森県1人、北海道5人の計37人
  • 男性18人、女性19人
  • 小中高校や特別支援学校の校長、教頭、教諭、養護教諭、教育委員会指導主事

 


主な視察地と寄せられた感想(視察順、抜粋加筆整理)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

・指定避難先に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を高校生ガイドの案内で視察

「日ごろから避難訓練を行っていた避難場所が津波に遭ってしまったと聞き、非常に驚きました。「ここまでは絶対に来ない、ここに来れば安心」ではなく、海よりもっと高くもっと遠くへ避難することが大切だと考えさせられました。また、すべての災害には予兆があるという言葉もとても響きました。津波だけではなく、ほかの災害の際にも十分注意していきたいと思います」

「地域の高校生が、自分ごととして震災を伝えようとする姿勢に感銘を受けた。「語り部=実際に経験した人」という先入観があったが、地域で起こった過去を自分ごととしてとらえそれを発信しようとする雰囲気があることが素晴らしい。 持続可能な活動になるよう、ボランティアという形ではなく報酬を与えてほしい。それくらい強烈なインパクトをもらった」


【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の2年生の語り部の案内で視察

・語り部と1時間にわたって意見交換

「児童生徒が主体となって避難することの大切さを感じました。また、避難に成功した例もあれば、すぐ近くに防災センターと名付けられた場所に逃げて大勢の方が亡くなった場所もあると知り、生と死の分かれ道をいくつか見て学んだ形が印象に残りました」

「実際に鵜住居の児童生徒先生方がどのようなルートで避難したのかを実体験することができ、当時の様子を紙面以上に考えることができました。また、「挨拶も防災のうち」と教えていただき、有事の際に地域で助け合うためには日ごろからのコミュニケーションが欠かせないなと思いました」

 


【南三陸町】旧戸倉小学校・戸倉中学校

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたって意見交換

「赴任してからの2年間の議論や準備の様子が興味深い。一人で考えず周りと話をし、ベストでなくベターでもまずはやってみて、場数を踏むことが大事であると言う言葉。避難経路を追体験し、さまざまな判断をどのような状況(情報)下で行ったのかを知ることができた。被災後の子どもの心のケアについての在り方や、学校再開に向けての判断や流れが参考になる」

「マニュアルを見直し、必要なことを学び、分からないところは大学の専門家に聞く謙虚な姿勢や、普段から先生方とコミュケーションを取ることの重要性を学んだ。実際に避難した経路を辿り、その場で話を聞くことで、そのときの景色が想像できて、圧倒された」

 


【石巻市】大川小震災遺構

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間半にわたって意見交換

「遺族としての想い、そして同じ教職員としての視点で語ってくれた。ここにも、私たちと変わらない日常があった、被災地はずっと被災地だったわけではない、今ここにいる自分を想像してみて!という言葉に、一気にこの出来事が理屈ではなく自分ごととなったからです。感情をいちばん揺さぶられました」

「佐藤敏郎先生は自身も遺族でありながら単純に「学校が悪かった」というスタンスではないことが印象的でした。 佐藤先生の言葉の中で最も重かった言葉が「私の防災には、娘が登場していませんでした。自分の家族も、自分自身も、物語の中に存在していなかった。それは、どこか他人ごとだったのです。」という言葉です。 私も自分の防災には自分が含まれていないと自覚しました」

 


【石巻市】門脇小震災遺構

・津波火災の様子と素早く裏山への避難を果たした学校避難の過程を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたって意見交換

「地震による津波による甚大な被害のことしか、勉強不足で分かりませんでした。まさか、津波によって、火災が起きていたとは、知りませんでした。また、避難の様子を聞いて、地域の人の受け入れの手伝いも教員は、あるので避難に遅れるケースがあるのだと分かりました」

「熱量です。日常生活での指導がとても大事だということを本当に理解することができました。もっと話を聞きたかったです。特別支援の子供たちに何もできなかったと話をされていたのが印象的でした」

 


【仙台市内・TKP会議室】震災時の避難所運営

・石巻西高校の元校長が避難所対応経験を元に避難所運営の要点を講話

「避難所運営のお話はなかなか聞くことが難しいので、非常に勉強になりました。一般の方や生徒とどう共生されたのか、非常に考えさせられました」

「今後自分自身が避難所を運営する立場として、シミュレーションができ、覚悟が決まりました」

 


【仙台市】荒浜小震災遺構

・地域住民も含めて320人が屋上避難し命を守った学校を当時の校長の案内で視察

「川村校長先生の子どもたちを思う気持ちは、担任の目線で管理職が子どもたちの気持ちに寄り添いながら安全に避難をする難しさに気づきました」

 


総括ワークショップの様子と事後に寄せられたリポート(一部抜粋・構成)

 

■小学校教頭

研修から帰ってからしばらく放心状態が続いた。情報量の多さだけでなく、見たこと聞いたこと、読んだこと、すべてが想像を絶するもので、どう表現していいか、何を言えばいいかわからないという状態だった。自分の考え方や今までの防災教育が根本から覆された。「津波てんでんこ」という言葉は、災害が自分事になっていない、どこか「よそ事」になっていた自分に気づかせてくれた。どうやったら周りを助けられるかが第1目標ではなく、自分がどう逃げるか、どんな準備をするかという意識を1人1人が持つこと、それが減災につながるのだ。学校内では、職員研修として学区で考えられる災害とその対応、防災と減災の方法を考えるワークショップを計画している。それを児童の授業へとつなげ、1人1人が災害を自分事としてとらえ、自分はどうやって逃げるか、被害をどう減らすかを考えさせたい。そして、来年からの防災教育計画や避難計画の見直しにつなげていきたい。

■小学校教諭

「『未来を拓く』ために、私はこれからも東日本大震災と向き合い続けよう」それは、あの日に助かった命、そして、今を生きている命にしかできないこと。この感覚を自分の心に深く刻むことができた4日間だった。私には、「東日本大震災を経験していない(生きていない)児童生徒に対して、これからどのように震災・防災教育と向き合っていくか」というテーマがあった。そのヒントとなる学びをこの4日間で得られた。大川語り部の会小の佐藤敏郎先生は、私のテーマに関する質問に対して、「震災を経験していない児童生徒は、確かに知らない世代だけれども、『知りたい世代』であり、『学べる世代』である。空っぽの人こそ、きちんと整理して入れてあげて、入れ物を大きくしたい、そういう意識を持ち続ければ、未来を拓ける」と答えていただいた。確かに今までは「知らないから伝えなきゃ」という姿勢だったが、今は「知りたい、学びたいという児童生徒の姿勢を活かし、整理して学んでもらうことで、1ミリでも彼らの未来を拓く原動力に変えよう」という意識が芽生えた。この4日間に参加した者として、得られた知見を、教職員、そして、児童生徒に伝え共有し、皆で「東日本大震災と防災教育」と向き合い、未来を拓いていきたい。

■中学校教諭

防災教育は単なる避難訓練ではなく、「命の教育」だと⼼の底から知った。14年が経っても変わらないものは、あの⽇失われた多くの命と、深い悲しみだったと、現地に⾏って改めて感じた。街は時間とお⾦、⼈の⼒で再び形を取り戻せる。でも、⼈の命はそうはいかない。事前にオンライン授業を依頼した案内役の武⽥真一代表理事が話していたことを本当に理解することができた。「⾃分が伝承者になる」との思いで参加した今回の研修。話を聞く中で、伝承活動の課題も⾒えてきた。私ができることは、まず、⼦どもたちに直接伝えることだと考えた。それと同時に、「⾃分が伝承するのでは、熱量が⾜りない。伝わらない」と語り部の先⽣⽅の話を聞き、そう思った。そこで私は、「伝承者と、話を聞いたことがない⼈たちをつなぐこと」をしていくべきだと考えた。⾼齢の伝承者の⾔葉を残すことも、語り部の⽅への誹謗中傷も課題であると感じた。また、障がいのある⼦への防災教育をつくること。たくさんできることはある。

■小学校教諭

「とにかく被災地をこの目で見てみたい。語り部さんの生の声を聞きたい」という思いで参加させていただきましたが、今回の研修は忘れられない3泊4日となりました。震災遺構からは、震災の凄まじさを改めて感じました。また語り部さんの話からは、当時の様子を詳しく知ることができました。何よりもそれぞれの方の言葉には、その重みと生への力強さがありました。「未来に行くために死んではいけない。」「防災はハッピーエンドでなければいけない」「ありがとうと言えるときにありがとうと言う」「命の教育の上に防災教育がある」等、心に残った言葉がたくさんあります。これらの言葉は今後も決して忘れないことでしょう。行動することの大切さも今回の研修で学びました。まずは小さな一歩から…被災地視察研修で得たことを子供たちや教職員にしっかり伝え、自校の防災教育に生かしていきたいと強く思っています。研修以降、「今、災害が起きたらどうするか」と、頻繁に考える自分がいます。また、以前より優しくなった自分がいます。この3泊4日の経験を今後の自分に生かしていきます。貴重な日々をありがとうございました。

■小学校教諭

研修に参加する前は、地震に対する意識が低く、学校で決められた避難訓練を「こなしているだけ」になっていた。また、地震後の津波避難についてはマニュアルには記されていたものの、実際に訓練を行ったことはなく、防災教育が形骸化していたと反省している。研修を通して、防災教育における具体的な課題や、自分自身の意識の甘さに気付かされた。特に大切だと感じたことが三点ある。第一に「避難場所を一つに決めない」ことである。より高い場所、より安全な場所を目指して逃げるという柔軟な判断こそが、命を守る上で欠かせないと実感した。第二に「事前に話し合い、決めておく」ということである。災害時の行動は、その場で急に判断できるものではない。平時から繰り返し話し合い、どう動くかを確認しておくことが冷静な行動につながる。その上で臨機応変に判断できる力が必要である。第三に「日々の生活や授業の充実」である。非常時だけ特別に取り組むのではなく、普段の学校生活の中で、静かに集まる、時間を守るといった基本的な習慣を大切にすることが、いざという時の落ち着いた避難行動に直結する。研修を通して、防災教育は一時的な行事ではなく、日々の教育活動全体に根付かせていくべきものであると学んだ。子どもたちが自らの命を守り、さらに他者を思いやれるようになるために、教師である私自身が成長し続けることが求められている。今後も学びを重ね、進化する若者でありつづけたい。

■高校教諭

テレビや書物を通じて知っていた震災の記録も、現地の空気や人々の表情を伴って伝えられると、想像をはるかに超える迫力と重みをもって胸に迫ってきた。特に「生き延びたことに意味がある」という言葉が強く印象に残り、防災教育の核心は、知識の伝達にとどまらず「命の大切さ」を自分のこととして捉える感覚を育むことにあると実感した。私はこれまで、防災教育を「特別な教育」として捉え、年間行事や特設授業の中で位置付けることを意識していた。しかし、今回の研修を通して、防災教育は「防災」という枠を超えて、日常的な教育活動の中から自然に立ち現れるものだと気づいた。例えば、人権教育で互いを尊重する態度を育むことや、道徳教育で生命の尊さについて考えること、キャリア教育で将来を主体的に描くことも、すべて「自らの命を守る力」とつながっている。つまり防災教育は、学校教育全体の土台を支える基盤であると言える。

■小学校校長

研修を通して、東日本大震災がもたらした様々な影響を知ることで、防災をより自分事として考えることができた。その中で強く心に残っている3点について挙げたい。まず1点目は、被災地に立つことの意味を感じたことだ。想定を超える津波の高さやその威力を知り、これほど広範囲で起こった津波の前では人間の力は無力だということを感じた。14年が経ち、復興に向けて整備されつつある町の様子や語り継ぐ人々の思いや言葉の一つ一つも私の心に強く焼き付いている。また大川小の被災には、自分の中にもやもやがあり、自分なりの解決を図りたいと考えていた。佐藤先生の、教員であり遺族である立場で「避難の場で迷うことがそもそも間違い」だという話は心に刺さった。実際に大川小を訪れ当時の学校や町の様子に思いをはせることで、命を守る行動とは何かを考えることができた。2点目は、普段から防災意識を高くもつことの大切さである。研修中に津波に関する看板が至るところにあったこと、また「津波てんでんこ」という言葉が避難行動につながったことに東北の防災意識の高さを感じた。意識の高揚に向けて私ができることは、まず地域を知り、地域の方や職員と普段の会話の中で防災を話題に挙げていくことだと考えた。合わせて、防災教育の年間計画や避難訓練の見直しも進めていきたい。3点目は、管理職としての覚悟だ。戸倉小元校長の麻生川敦先生から伺った話は、まさに命の選択を迫られた判断だ。マニュアルをこえた臨機応変な判断ができるよう、有事までの情報収集やマニュアルの更新、何より職員と意思疎通ができるような職場環境を整えることが大切だと考えた。そして、被災後の学校再開に向けて準備を進め、未来に向けて前に進む気持ちが大切であることも学んだ。学校の様々な教育活動においても、自分事として考え行動することは大切だ。防災教育を一つの切り口に、自分も【未来を拓く】ための取組を進めていきたい。

■特別支援学校教頭

研修後は児童・生徒・教職員名簿を複数枚コピーして常に持ち歩けるように準備しました。次は避難マニュアルの見直しです。そこに自分を入れて作られているか、放送機器が使えない場合の腹案はできているか、非常袋の中身は適切か。現在校長室にあるハンドスピーカーを職員室に置く、酸素使っている児童生徒の酸素ボンベはどうやって運び出すか。あらかじめ決められた訓練をシナリオ通りではなく、実際の地震が来たときに訓練を行い、臨機応変に動けるか、今まで及ばなかった視点に気づけるか、管理職がいないときの避難はどうするか等検討事項が見えました。安全防災の先生と夏休みのうちに研修の話や本校に起こりうる災害について話をして深めていきます。今回の研修では立場や年齢や校種が様々で防災についての意識を持ち、みんなが一つの学校のようにも感じられ、とても質の高い研修でした。本校では200人の教職員で子供たちを守るために個々が役割意識を持ち、組織で動けるように統率しなければなりません。「不祥事は本校から出さない」という強い気持ちに、「災害は全員で乗り切る」という気持ちを加えて学校運営に携わってまいります。