【第7回】恩返し・恩送りでつながる関係づくり

「会員インタビュー」連載第7回目のゲストは、福島県福島市「NPO法人チームふくしま」事務局の清野巽さんです。
今回のインタビューでは、震災当時のこと、現在の活動にどうつながっているか、「福島ひまわり里親プロジェクト」やコロナ禍での取り組みなどをお伺いしました。

なお、今回は、新型コロナウイルス感染対策のため、オンラインでインタビューを実施しました。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
※清野さんのお写真は、チームふくしまさんの事務所で、黒羽晃成様に撮影していただきました。

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清野 巽(せいの たつみ)

福島県福島市出身・在住
東日本大震災発災当時は、高校3年生。卒業式から10日後の出来事だった。大学の試験が受験できず、1浪し、福島県の大学に進学。4年間、大学内のボランティアグループや環境系NPO法人で活動。大学2年生の3月に「福島ひまわり里親プロジェクト」のボランティアに初めて参加し、その後も福島県内での種寄贈やイベント運営ボランティアとして関わり、大学卒業後、プロジェクトを運営するNPO法人チームふくしまの事務局員として就職。「福島ひまわり里親プロジェクト」全般の事務を担当している。

 

大学卒業後「チームふくしま」に就職

 清野さんは、いつ頃からチームふくしまで活動されているのでしょうか。

清野さん) 事務局として関わるようになったのは2016年のことで、今、5年目です。

清野さん) 大学3年生のころから時間が空いたときに「福島ひまわり里親プロジェクト」の活動にボランティアとして参加していました。

 ボランティアサークルに所属されていたんですか?

清野さん) はい。大学2年生の3月に、チームふくしまからボランティア募集情報をいただいて、初めて聞く団体だったのですが、その日たまたま予定が空いていたので、参加したことが最初のきっかけですね。他にも、福島県内のいろんなところに行って、ボランティア活動をしていました。

 色々なところでボランティアをされて、最終的にチームふくしまに落ち着かれたのですね。卒業してすぐ、チームふくしまに就職されたということなんでしょうか?

清野さん) そうですね。

インタビュアーの藤間が、2年前にチームふくしまの理事会に同席させていただいたときの写真。活気ある雰囲気。

 

大学入試の前日

 東日本大震災の時は、清野さんはどちらにいらっしゃいましたか?

清野さん) 私は福島市出身なのですが、3.11の地震が起きた時は市内の自宅にいました。ちょうど高校3年生で、3月1日に卒業式を迎えたばかりでした。次の日に大学の後期試験を控えていて、受験する岩手の大学に向かう準備をしていたところだったんです。

 移動のタイミングが違ったら、岩手や宮城で被災していたかもしれなかったんですね。

清野さん) 福島駅や新幹線の中、岩手で被災している可能性もありましたね。たまたま自宅に居て、なんとか家族の安否確認をとれたので、安心しました。私は当時SNSを全くやっていない高校生で、そういうことにも詳しくなかったですし、10年前は今ほど環境が整っていませんでしたよね。非常時に何で連絡を取り合うのか、何で情報収集をするのか決めておく、考えておくことの大切さを痛感させられました。

 その後は、どうされていましたか?

清野さん) 2日くらい電気が来なくて、ラジオの情報だけで生活していました。その後、電気が通ってテレビがついた瞬間に、あの津波の映像が流れてきて。直接は知らない方々ですが、多くの人が亡くなったことを知って、涙が流れました。そのことは、自分の中で大きな出来事として記憶に残っていて、「何か自分にできることをしたいな」という気持ちが生まれました。

 震災当時の思いが、今の活動につながっているんですね。

清野さん) そこから1年浪人をして大学に入ったのですが、自分よりも大変な人がたくさんいる状況で、浪人させてもらっていることが本当に有り難いなという思いがありました。そういうこともあり、「自分にできることを」ということで、大学でボランティアに関わることにしたんです。

 

ボランティアに取り組むなかで

 結果的に、岩手ではなく福島の大学に進学して、ボランティアにも取り組むことになったんですね。活動される中で、どんなことを意識されていましたか?

清野さん) 震災関連のボランティアたくさんある一方で、震災前からあった活動には目が向きづらくなっていると感じていました。仮設住宅を回るなどの活動も大事だと思う反面、従来からある福祉関係、子ども支援関係、地域イベントの補助などのボランティアにも関わりたいと思って活動していました。それで、震災関連に特化したボランティア団体には所属せず、別のボランティア団体にだけ所属していました。

 なるほど。私は、東日本大震災を機に石巻市に来てボランティアをしていたのですが、半年〜1年くらい経った頃、ふと、自分が震災前から連綿と続いてきた地域の時間に目を向けられていなかったことに気付きました。震災に関する膨大な情報に流されて、震災前から当たり前にあった暮らし、活動に気付けていなかったんです。
清野さんの話を聞きながら、当時の自分のことを思い出しました。

 

伝承・伝達への思い

 その頃は「伝承」は意識されていましたか?

清野さん) 正直なところ、その当時は「伝承」については全然考えていませんでした。実際にチームふくしまで仕事として関わらせていただくようになって、伝承の大切さを感じるようになりました。

清野さん) 本当のところ、何があったのか。その後にどんなことがあったのか。…今は経験した人もたくさんいて伝えられますが、これから長い年月が経って、今の子ども世代が大人になって浜通りに行ったときに、「なんでこんなに家が無いの?」「なんで土地が荒れているの?」「この建物は何?」と疑問を持つと思います。それに答えられるように、残していくことは、絶対に必要だと思っています。
例えば、結婚して子どもができれば話すでしょうし、子どもから孫へ、また次の世代へ…とつながっていくと思います。

  3.11当時は高校生だった清野さんが、生まれ育った地域で、未来の世代に伝えていきたいと思われているのは、心強いですね。

清野さん) 仕事だからやる、ということでもなく、被災の度合い云々でもなく、福島県民としてここに居る以上、自分の中でしっかり記憶にとどめるというのが、まずはできることだと思っています。

 日頃、意識してやっていることはありますか?

清野さん) なるべく現地に実際に足を運ぶように心がけたり、相手の負担にならない程度に地域の方にお話を伺っています。そして、自分の中に少しでも蓄積して、話せる場があれば発信したいと思っています。

 「伝承」って、空気を醸成していくことだと思っています。地震がきたら津波が来る前に逃げようねとか、自分が住む地域に関心を持ってハザードマップを見ようねとか。発信することで、世代を超えて、「それ当たり前だよね」という空気をつくっていくことができたら良いですね。

清野さん) そうですね。あれから10年経つ今だからこそ、また新たに見えてくるもの、できることがあるはずなので、アンテナを立てておきたいと思っています。

 

福島ひまわり里親プロジェクト

 2年前にお会いしたときに、「福島ひまわり里親プロジェクト」についてお話を伺いました。プロジェクトは、いつ頃始まったのでしょうか?

清野さん) プロジェクトは2011年5月にスタートしました。流れとしては、福島県外の方にひまわりの種を購入いただき、ひまわりを栽培後、取れた種を福島県へ送っていただき、その種を福島県内の方々に無料でお渡しさせていただいています。

2018年の夏。一面のひまわり畑は圧巻。

 実際にひまわりの種はどれくらいの量になるんですか?

清野さん) 私も聞いた話なのですが、初年度は3トン届いたそうです。

 3トンも!?

清野さん) 今はさすがにそこまで多くはなく、平均して500キロくらいですね。

 それでも、一粒1グラムもないと考えると、すごい量ですよね。床が抜けちゃいそう。集められた種は、植える以外には、何かに利用されているのでしょうか?

清野さん) 毎年、全国の里親さんから種が届くので、福島県内の方にお渡しして育てていただいて、育ったひまわりから採れた種を集めて、油を搾りバイオ燃料にしています。そのバイオ燃料は、福島交通さんの所有されているされているバスの燃料の一部として、活用していただいています。

 ひまわりから採れた燃料でバスが走るんですね!

清野さん) 団体内では、今後、利活用の種類も増やしていきたいという話も出ています。

 

マスクの販売・配布活動を開始

 コロナ禍で色々と活動の制約があると思いますが、チームふくしまさんでは、今、どんな活動をされていますか?

清野さん) 福島市に障がい者雇用率が県内トップの、体育着をつくられている企業さんがあるのですが、コロナで学校が休みになって体育着を使う機会がなくなり、代わりにマスクをつくり始めたんです。「障がいを持つ方の仕事を支えていこう」ということで、チームふくしまでそのマスクを取り扱う機会をいただきました。

  なるほど!

清野さん) 商品発送の業務は、「福島ひまわり里親プロジェクト」のひまわりの種を袋詰めをしてくださっている二本松の福祉作業所さんにお願いしました。やはりコロナで仕事が減ってしまったということで、通われる方の所得に少しでもつながればと。

 数としては、どのくらい発送されたのでしょうか?

清野さん) 実際に発送したのは…販売したもので5,000件くらいですかね。

 この4か月で5,000件も発送されたんですか!

清野さん) 使い捨てマスクが入手できる機会があったので、販売したものとは別に、これまでプロジェクトに参加いただいた方にも5,000件ほど郵送しました。合わせると、10,000件くらい送りましたね。

 すごい!

清野さん) あと、「夏マスクひまわり大作戦」ということで、ひまわりの種を3粒ずつ一緒に入れて送らせていただきました。
プロジェクトを知ってもらうだけでなく、その大元にある東日本大震災から10年が経過することをしっかり発信して、ひまわりを育てながら、東北や福島に少しでも思いを寄せてもらいたいという思いがあります。

 

コロナ禍でもできることを

 断念せざるを得なかったことや、逆に新たに取り組んだことはありましたか?

清野さん) 断念したこととしては、毎年福島県内で開催している「ひまわり甲子園」というイベントですね。震災があったから“こそ”、ひまわりを育てるなかで生まれた物語を発表するイベントで、2013年から毎年福島県内で開催していましたが、2020年は開催できず、来年3月まで延期になりました。
また、毎年8月15日に行っている「ひまわり結婚式」は中止にしました。ひまわりは今年も育ったのですが…

2018年8月に行われた「ひまわり結婚式」の様子。

清野さん) その代わりに、新たな取り組みも結構あるんです。
少しでもおうちで楽しんでもらえるように、インターネットで「福島ひまわり里親プロジェクト」コミックを無料で見られる仕組みをつくりました。
また、3.11メモリアルネットワーク基金の「新型コロナウイルス緊急対策助成」を活用して、プロジェクトの活動概要映像をYouTubeで公開しました。

 イベントができない中でも、様々工夫されているんですね。

清野さん) 「ひまわり甲子園」の発表内容をイラストにおこして冊子にして、今年プロジェクトに参加してくださった方にお渡ししました。
福島県立図書館にも寄贈させていただきました。県内の方にも見ていただけたらと思っています。

2020/8/21 河北新報「福島発のヒマワリ 物語紡ぐ 種送る活動などイラスト付き冊子に

清野さん) 人と直接会えないけれど、今だからこそできることもあると思います。オンラインで会話するというのもその1つだと思います。

 そう思います。

清野さん) チームふくしまでも、あまり上手く活用できなかった部分があったので、これからは、YouTubeなども活用してできる範囲で活動発信していきたいと思います。

 

福島の魅力を再認識

 話は変わりますが、清野さんは今の福島の魅力はどんなところだと感じていますか?

清野さん) 改めて、福島っていいところだなと思います。
私の実家の近くは果樹園が広がっているんですが、以前は、それがあまりにも普通で当たり前だったんですよね。もちろん果物も美味しいんですが、今みたいに、とりたてて「福島の桃は美味しいんですよ!」という感じで表に出ていなかったように思います。

清野さん) 震災後に、果物とかお米とかお酒とか、そういう当たり前に思っていたものが、注目されてよりメディアでも発信されるようになりました。私自身も魅力を再確認できたというか、気付かせてもらったと感じますね。

 福島の桃、美味しいですよね。心から思います!

清野さん) 本当に!
あとは、県全体が横に長い地形で、それぞれで文化も地形も気候も違って、それぞれの良さがあるというのも福島ならではの魅力だなと思います。
会津の方は雪深く自然豊かな地形があって、観光地としても有名だし、お酒も美味しい。中通りは、果物や産業が盛んです。浜通りは、震災があってまだまだ大変な状況が続いていますが、その中で伝承の活動だったり、新たな動き、新たな魅力も生まれていてきているのではないかと感じています。

 

お互い支え合う「チーム」に

 チームふくしまさんは、「チーム」というその名の通り、いろいろな方とネットワークを組んで活動に取り組んでいますよね。「連携」の意義について、考えていることがあれば、教えてください。

清野さん) 一人や一団体の力では限界があるな、ということは、すごく感じています。
私たちのプロジェクトは福祉作業所さんの支援を目的に生まれましたが、活動を続ける中で、福祉作業所さんの存在は大きく、むしろ私たちの方が「なくてはならない存在」と感じています。お互いに支え合う関係性が築けてきたのは、嬉しいことですね。

清野さん) 「福島ひまわり里親プロジェクト」の参加者の方も、最初は「福島を応援したい」と思って参加してくださったのではないかと思うのですが、ふと振り返ると自分たちのためになっていたとか、自分たちの生活が良くなったといった声もいただきます。

 活動への参加を通じて、新しい関係性や価値が生まれるというのは、素敵な話ですね。

清野さん) 台風や豪雨の被害があったときにも、平時からつながっているネットワークがあることで、すぐに助けられるんですよね。どこで災害が起きるかわからないけれども、「恩返し」「恩送り」というカタチで、手を差し伸べ合うことができます。

 「恩返し」と「恩送り」、良い言葉ですね。

清野さん) あとは、遠方からのご支援だけではなくて、県内で活動している人たちのネットワークも徐々にでき始めていると感じます。災害だけでなく、何か困難があったときに近くで支え合える関係、ネットワークをつないでいくということは大切です。

 課題に感じられていることはありますか?

清野さん) ネットワークのようなものって、アンテナを張っていないと気付かなかったり、自分から一歩踏み出さないと参加できないところはあると思います。そういう意味で、「発信」が課題ですかね。

 よくわかります。3.11メモリアルネットワークは生まれて3年弱で、皆さんと関係性をつくっている途上なので、チームふくしまさんの活動は、とても勉強になりました。

清野さん) 3.11メモリアルネットワークは、伝承・伝達が大事、という点に共感した方が会員になってくれているのだと思います。「自分にできる伝承・伝達って何だろう?」ということを、これから10年先の東北で活動しているというところで、私自身も考えていきたいですし、皆さんと一緒に考えていけたら良いなと思います。

 お互いのネットワークが重なり合って、活動を深めていけるといいですよね。清野さん、ありがとうございました!

 

インタビュー後記

私は33歳まで東京電力の電気を使って暮らしていました。
なので、キャラクターの「でんこちゃん」は知っていましたが、電気がどこで作られているか2011年3月12日まで気にした記憶がありません。

大学生の頃、合宿免許のために初めていわき市を訪れました。
だから、震災後、それまで1度も行ったことのない石巻ではなく、「いわき市」と一瞬頭をよぎりましたが、あの時はどうしても放射能が怖くて動けませんでした。

私は福島に対して「うしろめたい」という思いが今も消えません。
と言っても何が正解なのか分からないことだらけなので、自分はどうしたいのかを考え続けていきます。

というわけで、今回の編集後記は、「清野さんがどれだけ爽やかな好青年なのか」という内容ではなく、私の面白くない宣言文のようになってしまいました…すみません。

また次回!

 

インタビューアー / 藤間 千尋(ふじま ちひろ)

3.11メモリアルネットワーク 共同代表。
神奈川県横浜市出身で、3.11当時は海から約100mのみなとみらいの職場で仕事をしていた。
2011年のGWにボランティアで石巻市に来たことをきっかけに、同年10月に移住し、その後仕事で語り部プログラムの調整担当に。
趣味は読書、ドキュメンタリー映画やEテレの番組を観ること。

次回のインタビューはこちら

第8回 髙橋匡美さん(宮城県石巻市)

前回のインタビューはこちら

第6回 大棒秀一さん(岩手県宮古市)